こころちゃんを送ったこと
もう少し悲しい話を続けます。
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帝王切開した夜を含め、3泊4日の入院でした。3晩とも夫が付き添いで病室に泊まってくれました。固くて狭い簡易ベッドで気の毒だったけど付き添ってくれてありがたかったです。特に初日は自分がほとんど動けないので、室温の調節や、ナースコールなどもしてもらえて助かりました。2時間おきくらいに助産師さんが来て、体温や血圧を測ったり、子宮の様子を見たり、産褥パッドや点滴を代えてくれたり、加えて足についている血栓予防のエアーポンプが常に音を出しながら動いていたりするので、二人ともほとんど眠れませんでした。ただありがたいことに術後の痛みは感じませんでした。麻酔がまだ効いていたり、背中にまだ針が刺さっていて痛み止めが少しずつ効いていたのだと思います。でも、子宮が収縮する痛み(後陣痛)のようなものは感じました。

翌朝、血液検査があり、朝早くから先生が来て、結果は良好だと伝えてくれました。2日目も点滴をしたままもう少し休むように言われました。看護師さんが身体を拭いて着替えさせてくれました。そのとき胸の辺りが濡れていると言われました。母乳が少し出てきていたのでした。悲しいことに、私の身体は出産後と一緒なのです…。3日めにはオッパイが固くなってきました。母乳の準備をしていたんですね、きっと。それを抑える薬を飲みました。ママの身体って本当に不思議です。

副看護師長さんに赤ちゃんを今後どうすればいいのか聞いてみると、できれば今晩にも病院からひきとってもらって、役所で手続きをしてもらってから火葬になると言われ、ああ、こころちゃんは死んじゃったんだという現実を感じてまた泣きました。火葬などの詳しいことは夫に話がありました。死産届を市役所に出して、火葬の許可が必要なので予約をとること、赤ちゃんはそのまま抱っこして連れて帰ってもいいし、業者に頼んで棺を用意する方法もある(病院では段ボール箱しか用意できない)とのことでした。私たちは業者に頼んで棺に入れてもらい、葬儀とまではいかないけどなんらかの形で拝んでもらおうと話し合いました。

夫が市役所と葬儀屋さんへ行ってきてくれました。ここでもいろいろと短時間で選択しないといけないことがあって大変でした。

17日14時に火葬することになりました。火葬後お骨を拾わない場合は、年に一回、他県の施設に送って供養してもらうことになるとのことでしたが、私たちはお骨を拾って自分達の元で供養していくことにしました。夫は市役所でお墓のことも問い合わせ、どうするか私に電話で相談してきました。夫の先祖のお墓は義父の出身地にあって実家から離れていることや(実家も北九州なのでここからはかなり遠いのですが)、夫が会ったこともない知らない人ばかりのお墓にこころちゃんを入れたくないとのことで、松江で納骨堂があれば…と考えたのです。松江には納骨堂がないとのこと。お墓を買うとしたらこのくらいの広さで○○万円で…と電話の先から聞こえる役所の人の事務的な冷たい声(このときは余計そう聞こえました)。ただでさえ辛い状況なのに、そんな対応をされて夫がかわいそうでした。北九州からこっちへ向かっていた義両親にも電話で相談してもらった結果、やはり二つお墓があるのは変なので、北九州に先祖の墓を移動することは以前から考えていたので、なるべく早めに移動することにしてそこに納骨することにまとまりました。

その後葬儀屋さんに相談に行ってくれました。そこでは胎児死亡については取り扱っていないとのこと。でも火葬場に和尚さんを手配してくれ、お布施を1万円程度用意するとよいと教えてもらいました。ちっちゃい棺と骨壷を買ってきてもらいました。数日前までは、育児グッズを買ったり、ベビーカーやベビーバスなんかを品定めしたりしていたのに…棺を買うことになるなんて。悲しかったです。

もう一晩だけこころちゃんを病院の霊安室に預かって欲しいこと、退院時に着せようと思っていたドレスを着せてあげて欲しいことを看護師さんにお願いしました。看護師さんは引き受けてくれ、棺におもちゃやぬいぐるみなどを入れてあげてはどうかと教えてくれました。夫に西松屋へ買いに行ってもらいましたが、夫は店に入ったとたんたまらなくなって涙が出て何も買えずに退散したそうです。私も西松屋なんて言わなきゃよかったです。確かに辛い…。結局義両親が松江に到着してからミッフィーのぬいぐるみを買ってきてくださいました。

火葬の日。私はすでに点滴なども外していましたが、まだ歩くのもお腹が痛くてつらくて火葬場へは行けませんでした。火葬場に向かう夫に「私の分も送ってあげてね」と言うと、「最後に何て言おうか?」と言われ泣いて何も言えなくなりました。

夫を見送ってしばらく一人で過ごしていると、看護師さんが、こころちゃんの足型をとったカードを棺にいれてあげてもいいか?と持ってきてくれました。足型がとってあったなんて。カードの裏には「こころちゃん」って名前を書いてくださっていました。私が入れに行ってもいいか訪ねると車椅子で霊安室まで連れて行ってくださいました。霊安室には看護師長さんも待機されていて、ドレスを着たこころちゃんに会うことができました。お人形さんみたいでした。夫も車を回してこころちゃんを迎えに来てくれ、二人で足型のカードを入れてあげました。私は「R君に似てるね」って言って、二人とも号泣でした。
最後二人で送ることができて本当に良かったです。看護師さんが「お母さんが頑張ったから動けるようになって送ることができたね」と言ってくださいました。

火葬の時間。病室から火葬場の方向に向かってずっと手を合わせていました。夫はやっと心置きなく泣けたそうで、私のところに帰って来たとき「号泣だったわ」と言ってました。後から母も、あの時R君もみんなも一番泣いていたよと言っていました。和尚さんに拝んでもらってる間、母は後ろからいないはずの私の泣き声が聞こえたそうです。

夫はその日も病室に泊まることにしていたので、骨壷は実家に預かってもらうことにしました。火葬後、夫から電話がかかってきました。「火葬が終わってお義父さん達に預かってもらったけど、一旦家に帰ってからmarikoに会いに病院に行くって言ってて…。今日だけはこころちゃんを一人にしないでって言えなかったから、伝えてもらえないか」と。夫の思いやりをすごく感じました。こころちゃん、こんなに優しいパパでよかったねって思いました。

私の産後の体調は順調で、3日目には食事もできました。夕食のとき、ふと隣から新生児の泣き声が聞こえて、私もオッパイあげたかった…と涙が止まらなかったです。(当分は新生児の出てくるオムツやビデオカメラのCMが辛くて見れませんでした。)そんな環境でもあったので先生も気づかったようで、4日目の朝には退院許可が出てお昼に退院しました。
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by mablancheri | 2008-08-30 17:00 | cocoro
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