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こころちゃんの日
今日はこころちゃんの日。
訳あって未だに平日は実家にいるけど、
今日は自宅に戻ってこころちゃんと一緒に過ごしています。

2歳のこころちゃん、どんな子になっていたでしょう。
長男の顔を見てときどき、こころちゃんとこんな感じに過ごしてたのかな?
と思うこともあります。

長男が生まれてから、長男の名前の由来のひとつをだんなさまが教えてくれた。
長男と同じ名前の作家の作品に「こころ」というのがあるそうだ。
私はだんなのこころちゃんへの深い思いにまた感動したのでした。
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by mablancheri | 2010-07-15 15:35 | cocoro

3か月
こころちゃんとお別れしてから3か月。今日はいつもより多くの時間,こころちゃんのことを想っていました。3か月のこころちゃんはもう笑ったりできるようになってたかな。

この1か月は仕事も再開したし少しずつ時間が経つのが早く感じられるようになったかな。
やっとお腹の中や生活の中に赤ちゃんがいないことに“慣れてきた”という感じです。
まだまだふとした瞬間やこのこと知らない人から聞かれると(仕方ないことだけど)その場では大丈夫なフリだけど,つい涙がでちゃう。職場ではトイレが泣く場所です。だっていつまでもめそめそしてって思われるのもいやだし。

失った当初は早く妊娠したくて,とにかく妊娠さえすればこの寂しさは少しはなくなると思ってたけど,今はまた違う感情になってきてます。
こころちゃんはこころちゃん。
きっと新しい命がやどって生まれてくれるなんて奇跡がおきても(それはすごくうれしいことだけど),こころちゃんを失った悲しみは消えないだろうな。かえって新しい命を思うたび,どうしてこころちゃんはだめだったんだろう,産んであげれなくてごめんね。。。っていう気持ちが増すと思う。
まだ妊娠できる状況でもないくせにこんなこと想像したりして,変だけど。

明日から慰安?旅行に出かけます。こころちゃんを亡くした当初,何か先の楽しみでもなければ頑張れなかったとき,夫の遅い夏休みを利用して温泉にでも行こうかって話してて。行ってきます。
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by mablancheri | 2008-10-15 23:00 | cocoro

49日
今日はこころちゃんの49日でした。

水子供養のお寺のHPなどを見ると、
「私たちのように、この世の光を見たものであれば、亡くなるとこの世に対する未練や煩悩などから、すんなりと天国へなじむことができません。そのため、不動明王や釈迦如来、文殊菩薩など合わせて七名もの仏さまが、七日ごと四十九日間かけて正しい智慧と正しい道を授けてくださいます。その間は大切な期間であり、親族の方々は喪に服して無事に天国へ逝かれるよう丁重にお祈りしていただきます。
 しかし、煩悩なき赤ちゃん霊はすんなりと天国へなじむことができます。そのため四十九日などのご法事はなさらなくても大丈夫です。 」
とあるので、特に正式なものは何もしないつもりです。でも、ひとつの節目ですね。私も夫も、何も言わなかったけど49日だという認識を持っていました。

同僚から仕事の連絡のメールをいただいたのですが、その方「今日はこころちゃんの49日目に当たりますね、私もご冥福をお祈りしました」と書いてくださっていて。びっくりしました。夫とともに恐れ入りました。
Mさん!あなたの気配りにはいつも尊敬です!本当にありがとう。

このメールを見て、ふとお寺に行こう!と思い立ちました。火葬のとき来てもらったお寺をメモしていたので、早速住所を調べて行って来ました。でも、本堂が閉まってた~(T T)水子地蔵があれば拝もうと思っていたけどこれもなかった~(T T)

・・・仕方ないので閉まってる扉の前で手を合わせて退散・・・無念^^;;
帰りに久しぶりに県立美術館の企画展を見に行ってきました。年間パスポート期限が切れてたので(育児で行く暇ないと思って更新してなかった)新しく発行してもらって、今日最終日の「ジョット」展を見ました。
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by mablancheri | 2008-09-01 23:40 | cocoro

こころちゃんを送ったこと
もう少し悲しい話を続けます。
・・・・・・・・・・・・・・
帝王切開した夜を含め、3泊4日の入院でした。3晩とも夫が付き添いで病室に泊まってくれました。固くて狭い簡易ベッドで気の毒だったけど付き添ってくれてありがたかったです。特に初日は自分がほとんど動けないので、室温の調節や、ナースコールなどもしてもらえて助かりました。2時間おきくらいに助産師さんが来て、体温や血圧を測ったり、子宮の様子を見たり、産褥パッドや点滴を代えてくれたり、加えて足についている血栓予防のエアーポンプが常に音を出しながら動いていたりするので、二人ともほとんど眠れませんでした。ただありがたいことに術後の痛みは感じませんでした。麻酔がまだ効いていたり、背中にまだ針が刺さっていて痛み止めが少しずつ効いていたのだと思います。でも、子宮が収縮する痛み(後陣痛)のようなものは感じました。

翌朝、血液検査があり、朝早くから先生が来て、結果は良好だと伝えてくれました。2日目も点滴をしたままもう少し休むように言われました。看護師さんが身体を拭いて着替えさせてくれました。そのとき胸の辺りが濡れていると言われました。母乳が少し出てきていたのでした。悲しいことに、私の身体は出産後と一緒なのです…。3日めにはオッパイが固くなってきました。母乳の準備をしていたんですね、きっと。それを抑える薬を飲みました。ママの身体って本当に不思議です。

副看護師長さんに赤ちゃんを今後どうすればいいのか聞いてみると、できれば今晩にも病院からひきとってもらって、役所で手続きをしてもらってから火葬になると言われ、ああ、こころちゃんは死んじゃったんだという現実を感じてまた泣きました。火葬などの詳しいことは夫に話がありました。死産届を市役所に出して、火葬の許可が必要なので予約をとること、赤ちゃんはそのまま抱っこして連れて帰ってもいいし、業者に頼んで棺を用意する方法もある(病院では段ボール箱しか用意できない)とのことでした。私たちは業者に頼んで棺に入れてもらい、葬儀とまではいかないけどなんらかの形で拝んでもらおうと話し合いました。

夫が市役所と葬儀屋さんへ行ってきてくれました。ここでもいろいろと短時間で選択しないといけないことがあって大変でした。

17日14時に火葬することになりました。火葬後お骨を拾わない場合は、年に一回、他県の施設に送って供養してもらうことになるとのことでしたが、私たちはお骨を拾って自分達の元で供養していくことにしました。夫は市役所でお墓のことも問い合わせ、どうするか私に電話で相談してきました。夫の先祖のお墓は義父の出身地にあって実家から離れていることや(実家も北九州なのでここからはかなり遠いのですが)、夫が会ったこともない知らない人ばかりのお墓にこころちゃんを入れたくないとのことで、松江で納骨堂があれば…と考えたのです。松江には納骨堂がないとのこと。お墓を買うとしたらこのくらいの広さで○○万円で…と電話の先から聞こえる役所の人の事務的な冷たい声(このときは余計そう聞こえました)。ただでさえ辛い状況なのに、そんな対応をされて夫がかわいそうでした。北九州からこっちへ向かっていた義両親にも電話で相談してもらった結果、やはり二つお墓があるのは変なので、北九州に先祖の墓を移動することは以前から考えていたので、なるべく早めに移動することにしてそこに納骨することにまとまりました。

その後葬儀屋さんに相談に行ってくれました。そこでは胎児死亡については取り扱っていないとのこと。でも火葬場に和尚さんを手配してくれ、お布施を1万円程度用意するとよいと教えてもらいました。ちっちゃい棺と骨壷を買ってきてもらいました。数日前までは、育児グッズを買ったり、ベビーカーやベビーバスなんかを品定めしたりしていたのに…棺を買うことになるなんて。悲しかったです。

もう一晩だけこころちゃんを病院の霊安室に預かって欲しいこと、退院時に着せようと思っていたドレスを着せてあげて欲しいことを看護師さんにお願いしました。看護師さんは引き受けてくれ、棺におもちゃやぬいぐるみなどを入れてあげてはどうかと教えてくれました。夫に西松屋へ買いに行ってもらいましたが、夫は店に入ったとたんたまらなくなって涙が出て何も買えずに退散したそうです。私も西松屋なんて言わなきゃよかったです。確かに辛い…。結局義両親が松江に到着してからミッフィーのぬいぐるみを買ってきてくださいました。

火葬の日。私はすでに点滴なども外していましたが、まだ歩くのもお腹が痛くてつらくて火葬場へは行けませんでした。火葬場に向かう夫に「私の分も送ってあげてね」と言うと、「最後に何て言おうか?」と言われ泣いて何も言えなくなりました。

夫を見送ってしばらく一人で過ごしていると、看護師さんが、こころちゃんの足型をとったカードを棺にいれてあげてもいいか?と持ってきてくれました。足型がとってあったなんて。カードの裏には「こころちゃん」って名前を書いてくださっていました。私が入れに行ってもいいか訪ねると車椅子で霊安室まで連れて行ってくださいました。霊安室には看護師長さんも待機されていて、ドレスを着たこころちゃんに会うことができました。お人形さんみたいでした。夫も車を回してこころちゃんを迎えに来てくれ、二人で足型のカードを入れてあげました。私は「R君に似てるね」って言って、二人とも号泣でした。
最後二人で送ることができて本当に良かったです。看護師さんが「お母さんが頑張ったから動けるようになって送ることができたね」と言ってくださいました。

火葬の時間。病室から火葬場の方向に向かってずっと手を合わせていました。夫はやっと心置きなく泣けたそうで、私のところに帰って来たとき「号泣だったわ」と言ってました。後から母も、あの時R君もみんなも一番泣いていたよと言っていました。和尚さんに拝んでもらってる間、母は後ろからいないはずの私の泣き声が聞こえたそうです。

夫はその日も病室に泊まることにしていたので、骨壷は実家に預かってもらうことにしました。火葬後、夫から電話がかかってきました。「火葬が終わってお義父さん達に預かってもらったけど、一旦家に帰ってからmarikoに会いに病院に行くって言ってて…。今日だけはこころちゃんを一人にしないでって言えなかったから、伝えてもらえないか」と。夫の思いやりをすごく感じました。こころちゃん、こんなに優しいパパでよかったねって思いました。

私の産後の体調は順調で、3日目には食事もできました。夕食のとき、ふと隣から新生児の泣き声が聞こえて、私もオッパイあげたかった…と涙が止まらなかったです。(当分は新生児の出てくるオムツやビデオカメラのCMが辛くて見れませんでした。)そんな環境でもあったので先生も気づかったようで、4日目の朝には退院許可が出てお昼に退院しました。
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by mablancheri | 2008-08-30 17:00 | cocoro

こころちゃんに会えるまで
こころちゃんを失ってからは、同じような経験をした方のサイトを探したり、「天使ママ、天使パパ(流産・死産経験者)」のブログを読んだりするようになりました。流産を含めると本当にたくさんの方が悲しい思いをされていることを知りました。自分と同じ思いの方ばかりで、本当に気持ちが理解できます。戸籍上に名前が残らなくても、失った子供のことを忘れる日はないのです。
そして、こういう人たちの気持ちを読んで、私だけじゃないと思うだけで少しだけでも心が整理できる気がするのです。私も同じような経験をされた方の心に少しでも寄り添えるように、キロクしておこうと思います。
いや、ただ心のはけ口が欲しいだけなのかもしれません。月日が経つにつれて、夫ともこころちゃんの話をすることがなくなってきて(でも毎日手を合わせてくれるので夫の気持ちは伝わってきます)、でも、あのときの思いは今も強く残っているし。まだ人と会うことにも勇気がいるので独りで過ごすことが多くなっていて、気持ちを吐き出したいだけなのかもしれません。

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お腹の中でこころちゃんが亡くなってしまったことがわかったのは、7月15日、妊娠38週5日め、健診の日でした。

その日は朝早く目が覚めて、胎動があまり感じられなくなっていることに不安を感じていました。でもこころちゃんは胎動を感じ始めた頃からずっとおとなしくて、動いているのがあまり感じられない時間も多かったし、臨月に入ったら胎動が減ることがあるらしいし、ときどきお腹が張ることがあるし、先週はNSTしてもらって元気に動いていたし、今日の健診で見てもらえるから…と自分に都合のいいように考えてしまいました。今思えばもっと早く見てもらうべきだったと後悔しています。多分この先ずっと、私が早く事の重大さに気づいて病院へ行っていれば…という自責の念は消えないと思います。

9時半からの健診。胎動があまり感じられなくなっているんですけど…と言いながらベッドに横になりました。先生は、じゃあまずは動いているのを見て安心してもらおうか、と言いながらいつものように超音波を見始めました。「えっ?!」と言ったきり先生が無言になり、赤ちゃんの全身をくまなく見始めました。画面には動かない赤ちゃん。いつも見える心臓が動いていないのが私にもわかりました。

私は泣きながら、なんで?…R君(夫)が楽しみにしてたのに…どうしよう…親も楽しみにしてたのに…と取り乱していました。気づくと両腕を2人の看護師さんに支えられていました。夫を呼ぶように言われ電話をかけました。夫の驚き動揺した第一声。青天の霹靂だよね。本当に申し訳ない気持ちでした。最初は、悲しみより、申し訳ないとかどうしようという気持ちのほうが強かったです。夫が来てくれるまでは別室で休んでいました。隣では妊婦健診が続けられていて、どうして私だけだめだったの?という気持ちで辛かったです。

夫がタクシーで駆けつけてくれました。ごめんね…とにかくあやまるしかありませんでした。でも夫の方が自分のせいだと言い始めます。自分が無理させたから…と。絶対そんなことないのに…。これ以上私も何も言えなくなりました。お互い頭の中が真っ白という感じでした。

先生から胎児死亡の事実、原因はわからないとのこと、胎児を出してあげるために午後から入院して欲しい旨の説明がありました。亡くなった胎児を私の身体は異物とみなし始めるそうで、早く出してあげないと今度は母体に悪影響(血が止まりにくくなる)を及ぼすそうです。入院の次の日から子宮口を広げる処置をして、促進剤を使って陣痛を起こし出産させるとのこと。臨月で子宮破裂の恐れがあり強い薬は使えないので時間がかかるかもしれないとのこと。私は以前、「産声を聞けない出産」(死産)経験者のブログを読んだことがあって、本当に可哀想で夫にもその話をしたことがありました。まさか自分がそうなるとは思ってもいませんでした。私がそんな出産に耐えられるだろうか…不安でした。

病院から実家に向かい両親に報告。これもつらかったです。健診後は実家に寄るのが習慣で、母にはいつも超音波画像のビデオを見てもらっていたし。本を見ながら沐浴の段取りを勉強してたりして、本当に楽しみにしていただろうに。父も母も私がかわいそうだと言って泣いていました。

自宅に戻って入院の準備をしてから病院へ向かいました。夫も一緒にもう一度超音波で確認。やっぱり心臓は動いていませんでした。病室は産科病棟でしたけど個室を準備してもらっていました。この日は血液検査だけということで、検査が終わってからは夫と病室で休んでいました。副看護師長さんが私の担当ということで入院の説明書を持って挨拶に来られました。その説明書には「出産のための入院」と書いてあって、違うのに…と複雑な気持ちでした。

夕方になり、先生がやってきて、血液検査の結果、血が止まりにくくなることを示す数値がすでに高くなってきているとのこと。明日からではなく、今夜から子宮口を広げる処置をして明日朝から促進剤を使って、夕方までに出産できなければ母体が危険になるので帝王切開になる…と説明されました。明日の夕方がリミットで、出産できるかは5分5分だろうとのこと。先生はあまり勧めてなかったようでしたが、促進剤等を使わずに最初から帝王切開という方法も取れるので、どちらかを選択して欲しいと言われました。

これは本当に悩みました。帝王切開になることも考えてなかったし。夫は、危険な状態になってから帝王切開するよりは最初からしてほしい、ただお腹に傷がつくことについての抵抗感が自分はわからないから判断できない…と言ってくれました。私も判断に困りました。母やついてくれてた看護師さんにも相談したけど、最終的には自分で決めないといけませんでした。産声が聞けない出産に耐えられるか不安なこと、明日の夕方までに出産できる自信もなく、最終的には結局帝王切開になることを考えて、最初からの帝王切開を希望することになりました。

そう決めると、その後の病院の対応は早かったです。すでに帰ってしまった麻酔科医を呼び出し、ちょうど他の手術が終わったスタッフにそのまま残ってもらい、病室には次々と人が来て、心電図、レントゲン、点滴、浣腸、麻酔の説明などなどすばやく処置していきました。処置の最中、入院中一番お世話になった看護師さんから、今後の出産は帝王切開になるからね、でもあなたが決めたことが一番正しいからね、と言われました。入院中は看護師(助産師)さん達に本当に優しくよく接していただきました。こういうケースだったから余計に思いやってくださったのかもしれませんが、それでも慰められたので感謝しています。

午後8時からの手術でした。帝王切開することが決まってからあっという間だったので、怖いと思う暇もなく、車椅子で手術室へ連れて行かれました。手術室にはまた何人ものスタッフさんが待機していて、一人ひとり自己紹介しては、私に帽子をかぶせたりいろいろと処置をしてくれました。なんかめまぐるしかった。手術台に横になってから以降の記憶が全くありません。全身麻酔でした。麻酔をさす?前に眠ったようで、さされた感触も全然なかったです。

ストレッチャーで病室まで移動している最中に目が覚めました。すぐに赤ちゃんがだめだったことを思い出しました。だから私はここにこうしているのだと。私は切ったところが少し痛い気がして怖くて「お腹が痛い、足が震える」と繰り返し言っていました。病室に入ってからは痛みも震えも全くなくなったのですが。病室で酸素マスク?(全身麻酔だったので、のどにも管が入ったため喉がガラガラしたので)や足にエアーポンプをつけられました。最近は血栓防止のため、足にストッキングをはいたりマッサージ器具をつけるんだそうです。

落ち着いてから病室に誰もいなくなっていることに気づきました。この時間がとても寂しかった。どうして誰もいないの?独りにしないでって。でもこのとき、夫と両親は赤ちゃんと対面していました。父に後から聞いた話では、最初に夫が抱っこしてくれて、赤ちゃんに顔をうずめて泣いていたそうです。私の前ではあまり涙をみせなかったけど、つらかったよね。ごめんね。

しばらくすると母がやってきて「赤ちゃん見てきたよ。あんたとR君(夫)によく似ててかわいいよ。頭も顔も丸くて肌もきれいでかわいいよ。」と教えてくれました。私には気持ち的に今晩見るのが無理だったら明日の朝でもいいと言われていましたが、あんまりカワイイを連発していたので私もすぐに見たくなりました。後から母は、あの時すぐに私に見せるかどうか悩んだけど、かわいかったからみせたくなったと言っていました。

病室に夫が抱っこして連れてきてくれました。生まれるまでは、夫と赤ちゃんの初対面はどんな感じかな?ってよく想像してた。その姿をどんなに見たかったか…。夫に抱っこしてくれてありがとうって伝えました。不思議と心があったかくなり、泣かずに赤ちゃんに会うことができました。私の横に寝かしてくれました。赤ちゃんは眠っているだけのように見えました。本当にちっちゃかった。ほっぺたをさわることができました。片側だけはまだやわらかかったです。本当に本当にかわいかった。
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by mablancheri | 2008-08-28 17:38 | cocoro

絶えないお花
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先日、東京勤務時代のお友達からフライングで誕生日プレゼントの花束をもらいました。お花の癒しの効果は抜群ですね。★910ちゃんありがとうね♪

実は。職場のお友達からも早めのプレゼントをいただいたばかりで・・・。★sさんありがとう♪暑い夏にピッタリのプレゼントがうれしかったよ。なんでも、12月のsさんの誕生日に、私が何気なくプレゼントしたコーヒー豆のことを覚えていらっしゃって(私は忘れてました^^;)、その時からお返しをしようと決めててくださってたそうです。

まだ誕生日は先のことなのに、思いがけないプレゼント。今年は特別な「ありがたさ」を感じます。立て続けにみなさんが思いやってくださるので本当にありがたいです。心にしみます。

そういえばあの日からこころちゃんのそばには花が絶えることがありません。
退院の日は、手術の翌日に駆けつけてくださった義両親からこころちゃんへアレンジメントをいただきました。
翌日には職場の同僚から「お供えください」と白いお花のステキなアレンジメントを送っていただきました。
職場で仲良くさせてもらっているみんなからはカワイイアレンジメント(とお菓子)。届けてくれたお友達が一緒に泣いてくれて、こころちゃんに手を合わせてくれたことが本当にうれしかったです。
番外編ですが、以前サントリーの天然水(奥大山)の季節のお花プレゼントキャンペーン(8月~1月まで毎月フラワーアレンジメントが家に届くもの)に応募してたのが当たっちゃって。毎月お花が絶えませんよ^^
こころちゃんは多分1年後くらいに、夫の実家の近くにお墓が移転する予定なので、そこで眠ることになると思います。それまではずっとお花を絶やさずにしたいです。

昨日(産後)1ヶ月検診に行って来ました。
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by mablancheri | 2008-08-22 15:15 | cocoro

1ヶ月経ちました
こころちゃんを失ってから1ヶ月が過ぎました。
率直な気持ちとしては、長かったし、こころちゃんがお腹に居た9ヶ月は本当に幸せだった!と感じています。

妊娠してから自分の身体の変化を調べたり、産休に入ってからは毎日妊婦さんのブログを眺めては、出産報告におめでとーとつぶやいたり出産レポにどきどきしたり、出産・育児準備品のカタログを眺めたり、かわいい肌着をそろえたり、毎日が充実してて一日がすごく速く過ぎていきました。結婚してからも、子供を持つということをあまり考えてなかった私でしたが、妊婦になって自然と母親になるんだという意識も日々生まれてきてたんだなと思います。

7月15日を境に、想像していた赤ちゃんとの生活がなくなった上に、身体を休めるため無理しちゃいけないと自分でもわざと行動を制限したりして、時間が経つのが長く感じられるようになりました。何もしないでいるとやっぱり考えることはこころちゃんのこと。ボーっとしているだけで自然と涙が出てきたりしてちょっとつらい時期もありました。でも、親の協力もあって、のんびり過ごしたおかげで身体は回復したと感じます。

昨日から生活の拠点を実家からアパートに戻し、主婦業にも復帰しました。幸せ気分で過ごしていたアパートでの生活は、オットの顔を見てときどきごめんね・・・という気持ちにもなりますが、やはり二人は落ち着くし、一緒にいれば寂しくないし、リ・スタートという感じで元気になれます。

1ヶ月経って、失ったことでメソメソする時間は減ってきたけど、こころちゃんのことを忘れたわけではありません。ずっと想い続けます。また帰ってきてくれることを願いながら前に進もうと思います。
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by mablancheri | 2008-08-15 23:22 | cocoro

予定日でした
今日はこころちゃんの出産予定日だったということで、やっぱりどうしても悲しくなってしまいました。あともう少しだったのに・・・って。私の体重はほぼ妊娠前に戻り、お腹のふくらみもほとんどへこんだのに、お腹の中から出てきてくれたこころちゃんをもう抱っこすることができません。

でも、aokitakaさん(コメントありがとうございます!)のお義母さまのように、これが運命で、生まれてきても大きくなれなかったのだって思い込もうと思います。

せめてこころちゃんのことをブログにキロクして、こころちゃんが確かに私の中にいたことを忘れないように・・・忘れられないし、忘れたくないし。こころちゃんのママになれたこと、幸せでした。

みなさんに「こころちゃん」って呼んでもらえて、本当にうれしいです。きっとまた私達のところに帰ってくるよね。早く会いたいな。
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by mablancheri | 2008-07-24 23:25 | cocoro

抜糸しました
帝王切開から1週間経ち、抜糸しに病院へ行ってきました。
おかげさまで身体の方は順調に回復しており、普通の生活に戻ってもよいと言われました。
傷の痛みもほとんどなくなりました。
そうですよね、帝王切開でも出産後は24時間赤ちゃんのお世話が始まりますものね。
身体が動かないことにはお母さんやっていけませんよね。

昨日~今日、名古屋在住の兄が見舞い(?)に帰って来てくれました。
お土産に「赤福」を持って。「赤」ちゃんの「福」がありますように・・・との思いで買ってきたそうです。(後つけの理由でしたが^^;)
一応二人きりの兄妹だから、お兄ちゃんとして、また子煩悩なパパでもあるので、忙しい中帰って来てくれたようです。その気持ちがうれしかったです。
「がんばったな」と言ってくれて、また泣いてしまいましたが救われるような一言でした。
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by mablancheri | 2008-07-22 22:45 | cocoro

退院しました
このたびは温かいコメントをたくさんいただき、本当にありがとうございます。ネットでのおつきあいの方にまで胸を痛めさせてしまい、申し訳ありません。一緒に泣いてくれた友達、何も言わずにこころちゃんにお花を送ってくれた同僚・・・みなさんに感謝でいっぱいです。

おととい退院して、今は実家にお世話になっています。まだ抜糸していませんが、帝王切開の傷もだいぶん回復してきました。

今回の件は夫が「一生分の不幸を味わった」というように、残念でくやしくて喪失感は簡単にはなくならないと思いますが、(子供や私に対する)夫の思いやりや優しさや愛情をすごく感じることができ、この人と結婚して本当に良かったと思いました。そして、こころちゃんを妊娠したときよりも強く、絶対この人の子供を生みたいと思っています。

もう少し身体と心を休めてから、少しずつですがなんとか前向きに頑張ります。これからも変わらずお付き合いくださればうれしいです。
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by mablancheri | 2008-07-20 23:28 | cocoro


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